“すずめ踊り” 黒田家四百年の伝承

正調雀踊り保存会 黒田屋会長 第十八代当主・黒田孝次
堺すずめ踊り協賛会「会報」 平成21年「夏季」 第3号 3頁

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 平成18年度から始まった「堺・仙台“すずめ踊り”交流事業」の一環として第25回「仙台・青葉まつり」〔平成21年5月16日(土)〜17日(日)〕へ参加しました。
 この機会を利用して、慶長8年(1603年)、仙台城移徒式の宴席で伊達政宗公御前で即興的に“すずめ踊り”を踊ってご披露したと伝わる泉州・堺の石工棟梁の一人・黒田屋八兵衛の子孫・黒田屋第18代当主黒田孝次氏を表敬訪問しました。

 黒田孝次氏は、「堺すずめ踊り協賛会」“会報”第3号(発行:平成21年7月1日)に「“すずめ踊り”黒田家伝承」について快くご寄稿いただきました。しかし、限られた紙面の都合故に、表敬訪問の際に撮らせていただいた数々の写真をすべて掲載することが出来ませんでした。
 永年にわたる伝承の記録として黒田氏のご寄稿をここに転載させていただくことと併せて貴重な写真の掲載をお許しいただきました。
 ご寄稿の転載と写真の掲載をお許しいただきました黒田屋第18代当主・黒田孝次氏に感謝いたします。
 写真:左より
   「協賛会」前田理事、黒田家第18代当主・黒田氏、「協賛会」葛村会長、堺市・観光部坂本部長、堺観光コンベンション協会筧専務理事



<目次>
1.菩提寺「稱覚寺
2.屋号「井」の刻印
.石尊神社と石碑「山神」
4.“はねっこ踊り”から
5.杜の都「市民金メダル」






1.菩提寺「稱楊山 稱覚寺」
 黒田家の菩提寺は、国宝・大崎八幡宮の門前一帯の八幡町にある浄土真宗本願寺派「稱楊山・稱覚寺」です。お寺の由緒によりますと、稱覚寺は永仁元年(1293年)会津に開山し、元和4年(1617年)に現在地に移転しました。仙台城の移徒式の祝宴で、初代黒田屋八兵衛達が伊達政宗公の前で“すずめ踊り”を踊ったと伝わる慶長8年(1603年)から14年後のことでした。
 稱覚寺は、第2次世界大戦の終わり(昭和20年7月10日)にアメリカ軍による戦略爆撃を受けて仙台市街地が壊滅的な焦土と化した時に類焼し、黒田家の過去帳を含めて寺宝が焼失したため、当初より現代に至る家系に関する記録は残っていません。しかし、代々が建造した石碑など石造物は、現在も稱覚寺に残っており当時の様子を推し量ることができます。
 初代が眠っていたと伝わる石碑には「○○国泉州日根郡・黒田屋八兵衛」と読める刻印があります。「泉州日根郡」は、現在の大阪府阪南市黒田を含み、和泉佐野市、泉南市、泉南郡熊取町・田尻町および貝塚市の一部を含む広い地域であり、それらの中でも、阪南市黒田は15世紀から17世紀にかけて和泉砂岩の砕石および加工を業とする石工集団の住んでいたところといわれています。
 一方、寛永4年(1627年)には泉州黒田村の石工・甚左衛門が高野山で最大の石造物である徳川秀忠室のおごうの五輪塔を制作したことが知られており(*)、また、三重県伊勢市には、阪南市黒田村出身の黒田屋九兵衛を創業者とする第15代黒田光彦氏が石九石材店を営んでおられるという話も聞いております。その様な伝承から当黒田家も泉州日根郡黒田村の出身で、ご縁があって中世から近世の頃有数の寺町でもあった自治・自由都市・堺のまちで石工の仕事を営んでいたのかもしれないと考えております。
*:木下浩良(高野山大学);「中世から近世 泉州堺の石工たち」、「堺すずめ踊り普及会」会報第3号3頁参照

2.屋号「井」の刻印
 当家では、代々屋号として「井」の刻印を使用しております。
 平成10年から6年間にわたって青葉城の解体修理がおこなわれましたが、その際の調査で、石垣の中に3,400点以上の刻印が確認され、それらの中で「井」の刻印は1,100点以上と最も多く見つかり黒田屋八兵衛を棟梁とする一団が仙台城の石垣の建造に勢力をもっていたことが偲ばれております。
3.石尊神社と石碑「山神」
 現在の青葉区八幡町で、昔「石切町」と言われたところには石工集団が住んでいました。北石切町には、頭領たちが住み、南石切町には職人たちが住んでいました。堺でも、元禄2年(1689年)の堺大絵図には「石切町」が北と南に別れて記録されているそうですね。
    
 元禄2年「堺絵図」;福島雅蔵『堺の町探訪』(堺市博物館)より 瀬田谷不動尊(仙台市青葉区八幡町)
 石工たちはこの地の天然石で不動尊を彫りそれを守り本尊として崇め瀬田谷不動尊、別名石尊神社を創建し、毎年7月27日〜28日の祭りには近隣の住民ともども“はねっこ踊り”を奉納して楽しんでおります。また、その近くに石工たち守護の象徴として石碑「山神」が建立されており、毎年、2月2日と10月2日に石工衆だけで石碑の参拝をした後に宴席を設けております。
   

 「山神」の石碑建立の基となった書を父・故黒田虎雄(黒田家第17代)から引き継いでいます。その書の揮毫年代は、「明和9年春」(1772年)とありますので後世のものと言えますが、箱書きには、黒田屋八兵衛、辻本屋七郎兵衛、鹿野屋与右兵衛等計30名の名前が書かれています。
 
4.“はねっこ踊り”から“すずめ踊り”へ
 現在の“すずめ踊り”の原型となった“はねっこ踊り”は、戦前まで「石切町」に住む石工たちによって踊りつがれ、瀬田谷不動尊や伊達家の守護神として崇められていた国宝・大崎八幡宮に奉納されていました。戦後は、一端途絶えてしまいましたが、私の父・先代(第17代)故黒田虎雄が復活させ、昭和36年、当時の仙台市立第一中学校の真山 泰校長が体育の授業の一環として取り組まれました。

   
         はねっこ踊り(舞扇子 1枚)           伝統芸能「仙臺すずめ踊り」(舞扇子2枚)

 20数年前に「仙台・青葉まつり」が復活し、祭りを盛り上げようと作曲家や舞踏家の方々が黒田家を訪問され、踊り易い“すずめ踊り”を創作されました。そして、昭和62年第3回「仙台・青葉まつり」から“すずめ踊り”が参加するようになり、翌昭和63年から「すずめ踊りコンテスト」が開催されております。

5.杜の都「市民金メダル」受賞
 平成12年(2000年)、仙台開府400年記念事業の一つとして、藩祖・伊達政宗公が支倉常長一行を派遣した「慶長の遣欧使節団」になぞらえた「平成の遣欧使節団」がイタリア共和国およびバチカン市国を訪問し、当家に伝わる“正調雀踊り”(はねっこ踊り)をご披露しました。
 その際、バチカンに日本人彫刻家・武藤順九篠彫刻が献納されましたが、この作品の台座には、仙台城の石垣の石が使用され、加工は仙台城の石垣を造った石工・黒田屋八兵衛の子孫として父(黒田家第17代・故黒田虎雄)と私(黒田家第18代・黒田孝次)が担当し、仙台ゆかりの作家・井上ひさし氏が書かれたた碑文「風の環」を刻みました。謁見の際には、バチカン側の特別のはからいで、法王に最も近い席が用意され、法王は日本語で「日本仙台ありがとう」と言われ、一同大いに感激しました。
 この功績が認められ、平成12年10月23日に仙台市長より「仙台開府400年事業の推進ならびに仙台市とローマ・バチカン市国の友好の懸け橋となる活躍」として父・故黒田虎雄が「杜の都“市民金メダル”」を受賞しました。

      
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