トップページコンテンツ徐福論第5回「徐福祭」連雲港市市民交流

       逵 志保著『徐福論−いまを生きる伝説−』(新典社、2004年)
         逵 志保先生出版記念講演会『徐福−いまを生きる伝説』
                              (2004年11月6日、名古屋駅前菱信ビル3階)

     <プロフィール>
       逵 志保(つじ しほ) 1967年東京生れ 愛知県立大学非常勤講師  博士(国際文化)

                     2005年愛知県立大学大学院国際文化研究科博士課程単位取得退学
       主著・論文:
         『徐福伝説考』(一季出版、1991年)
         「徐福伝説の創造と歴史的変容−福岡県八女市『童男山ふすべ』を通して」
          (『愛知県立大学大学院国際文化研究科論集』第3号、2002・3、愛知県立大学院)

       「伝説にみる伝承主体の多重性−熊野市波田須の徐福伝説をめぐって」
          (『口承文藝研究』第26号、2003.3、日本口承文藝学会)
         「百済王伝説の現在−宮崎県南郷村の師走祭と百済の里づくりにおける渡来人伝説」
          (『昔話−研究と資料』32号、2004年近刊、日本昔話学会)、ほか


目次
T.プロローグ
U.読書メモ
 
1.徐福伝説とは
 
2.徐福研究のこれまで
 
3.中国・韓国の状況
 
4.なぜ、今、“徐福”か?
V.エピローグ



さらに詳細は、
  読書メモ(詳論)
  表ー1、表ー2
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徐福故里:
 連雲港市第5回徐福祭
 山東省龍口市徐福祭





プロローグ>
 2008年に開催が予定される「堺市・連雲港市友好都市提携25周年記念企業」を見据え、それまでの期間を利用して、再度、グローバルな市民交流のために堺市においてその「機会」と「場」を提供するに相応しい共通テーマのあり方について考えてみる。
 その第1回として、「徐福伝説」を修士課程研究のテーマとして取り組んでこられた逵 志保氏の近著(修士論文を再構成、加筆)に今後の展開策を求めてみた。

<読書メモ>

      逵 志保著『徐福論−いまを生きる伝説−』(新典者、2004年)

 本書は、引用文献が520報と多く(「表1 徐福記述文献時代別成立分布と経緯」参照)、文献に記されてきた徐福と現在を生き、生かされる徐福伝説の現象を同じレベルで論じている。『徐福論−いまを生きる伝説』
 しかし、書かれているものだけでは、現地の人々の動向は捉えきれない。「伝説」を知ることは、目の前の実践に目を向けることである。その意図で、現在、徐福伝説を取り巻く環境に動きの見られる特徴的な2ヵ所(福岡県八女市山内三重県熊野市波田須)に注目した。
 外から入ってくる者を内なる者として伝えてきたのは、どのような社会的要請であったのか?どのような人々の心のありようであったのか?これらの問いは、そのまま、現在の伝承地の様々な動きへの問いである。

1. 徐福伝説とは

1)紀元前91年 司馬遷『史記』秦始皇本紀第6
 始皇帝28年(紀元前219年)
 斉の国の方士徐福(徐市)は始皇帝の命を受け、東海の三神山(蓬莱、方丈、瀛洲)に、童男童女数千人とともに不死の薬を求めて船出した。ところが薬を入手することなく帰ってきた徐福は始皇帝に進言、再び良家の男女三千人と五穀の種や百工(技術者)を用意させた。徐福は渡海し、平原広沢を得て王となり帰らなかった。

 徐福伝説の初出は、『史記』秦始皇本紀第六の記述と言われ、秦始皇本紀の中では、三ヵ所にわたって登場する。『史記』は、漢代、征和二年(紀元前91年)に司馬遷によって完成された中国正史の筆頭で、通史という特徴があり、歴史書としての信憑性が非常に高いと評価されている。
2)後日談としての日本渡来説の登場
 徐福伝説は、それぞれの時代の政治的な動向に大きく影響を受けてきており、特に、1972年(日中国交正常化)から関心が高まり、1982年(中国江蘇省連雲港市?楡県「徐福故里発見」)以降関連文献が増加してきた(「表−2 20世紀徐福記述文献成立分布」参照)。
 日本の徐福渡来伝承地の数は現在20数箇所に及び、現在も増えている。

2.徐福研究のこれまで
1)歴史の中に位置づけようとする徐福研究徐福故里 連雲港市カンユウ県
 1982年に中国江蘇省連雲港市で羅其湘羅によって、地名調査の中で、かつて「徐福村」と呼ばれていた「徐阜村」が発見され、中国の歴史学者の考証により徐福の故郷と判明した。
 その後、中国各地で徐福の証拠集めが始められ、歴史の中に位置づけることを目指して個別資料の集積、研究が行われた。
 日本では、伝承地において、徐福を歴史的事実として解明し、古代史の中に位置づけようとする動きが、かえって、古代史を含めた様々な分野で徐福を学問的な議論から避けさせて来た。
2)文学作品の題材論としての徐福研究
 平安時代より上流(貴族)社会の教養、常識として李白や白楽天など唐詩の引用は盛んに行われ(『宇津保物語』、『源氏物語』、『紫式部日記』、『平家物語』、『太平記』など)、その後も文学では題材論として徐福を扱う研究が地道に積み重ねられたが、伝説の持つ豊かさは欠落していた。
3)伝説研究としての徐福の扱われ方
 『日本の民俗』シリーズ(第一法規、1975年)各県の項に徐福の記載なく、『いまは昔、むかしは今』T(福音館書店、1989年、P.290〜293)では、「徐福伝説」は伝説から「落ちこぼれた話」として紹介されている。口承文芸、伝承の偶然的な記録に過ぎないとの理由で伝説研究の対象からもはずされた。
 柳田國男は、徐福伝説は、「中国古代の小説のひとつの型」だとしながら、徐福伝説の伝播と成長の底にある力に注目している。そして、徐福が多数の童男童女を連れて出港したことに注目し、一つの移民だと解釈した。移民という表現は、向う側も受け入れる側も対等である。徐福を移民と位置づけることに、戦後の新たに生きていく策の提示があると思われる。そして、「徐福はローマンス」で終わる。
 「伝説」という学術用語は、柳田國男の創造で、「昔話」とは、根底において両者が“信仰”を有する点では近似性があるが、以下の点において「伝説」は昔話と違うとしている。
 「伝説」は、
   ・イワレやイイツタエ。中心に事物がある。
   ・はじめから本当だと信じる人がいる。
   ・「昔あるところに」で始る、時間的、空間的に移動が可能な語りの話型はない。
    (時間、場所共に限定的で、聞き手により話しの長短は構成される)

3.徐福を取りまく中国、韓国の状況徐福故里 山東省龍口
 中国では、ゆかりある地として生誕地(連雲港市、龍口)、始皇帝謁見地(膠南市瑯邪台)訓練地(塩山県千童鎮)、出港地(遼寧省綏中、秦皇島)、寄港地(浙江省岱山、慈渓市)など12箇所があり、それぞれに歴史的な考証に基づき伝承行事を年を追って盛大に行っている。
 韓国は、通過のゆかりある地として慶尚南道南海島および斉州島が伝承されており、2002年春には大学の研究者が中心となって初の徐福国際学術大会(斉州島学会)が開催された。何よりの成果は、徐福伝説を東アジア共通の研究素材として今後も定期的に研究発表の機会を持つことになったことである。

4.なぜ、いま、“徐福”なのか?
 これまでの徐福伝説は、文献資料が多く、政治的な色彩から逃れることが出来ないため、伝説研究としては顧みられることがなかった。しかし、地域で、伝承してきた人々とそれを取り囲む人々が、多様に伝承に関わっている徐福伝説は、これまでの伝説研究とは別の視点を与えてくれないだろうか。
 語りの媒体も、観光パンフレットだけではなく、インターネットなど、より多様化し、それらの媒体が伝承を変容させていくことも予想される。より広範囲な伝播へと変化することで、新たな創造も噴出してくる。
  現在の問題は、
  @伝説の生成とそのダイナミズム(成長していく内的な生命力)に注目してゆくこと
  A伝説を実践として捉えてゆくこと
  Bかつて、人々は何に意味を見出して生きてきたのかに気づくこと
  C私たちが、「今、どのように生きていこうとしているのか」という問いに伝説が深く関
    わっていることに気づくこと
  D自分自身が、新しい伝説の動向の中でそれを動かしている一人だということに気
    づくこと

 地域で語り継がれてきた徐福伝説は、現在、グローバルな文脈の中に投げ込まれ、触れあわされつつある。伝説という伝承は、歴史の誕生に直面してきたものとして位置づけが見えてくる。『中国文化セミナー“徐福”』
  今後の取り組むべき課題は、
  @伝承モデルの見直し
  A東アジア共通の研究素材としての位置づけ

 「徐福伝説」に関して見れば、伝説が生きていることを実感する。それは、歴史と昔話の間を伝説がつないでいるという実感でもある。  
  こぼれ落ちてきた伝説の中から、いまを生きる伝説の豊かさを汲み取ることが出来た。


<エピローグ>
 「徐福」を地域の歴史ロマン溢れる伝説として捉え、そこに意味を見出そうとしている。このような動きにより、「徐福伝説」が古代史の歴史的な証拠集めから解き放たれ、伝説として生き生きとしてきた。
 各地の郷土史家や熱心な古代史研究家の熱意で地域の伝承やローカルな文献資料は増加しており、また、貴重な資料であっても、個別に資料が山積しているだけであって、徐福の研究を進めていく上でどんな意味を持っているのか、それら資料の関連が議論されることもなく、総合化の試みに向っていない。
 こうした渡来人の伝説を、中国、韓国、日本という国と国との枠組みの中に閉じ込めてしまうのではなく、それぞれの地で伝承される伝説に込められた心意を明らかにし、海を取り巻く東アジアの多くの地域の伝承とつなぎ、渡来人の伝説を通して見えてくる東アジア地域の新たな像を描いてみたいという著者の“思い”は、読者に思いのほか噛み応えを感じさせ、考えさせられた。

 「歴史を未来へ!」。現在、特に、東アジアにおいて「歴史認識」が焦点となっている。
 昨年(2004年)7月、堺市からの紹介を通して外務省アジア・大洋州局の要請で、我が家に中国・国家行政院研修生の李海軍さんと孫大為さんがホームステイに来られた
 酒を酌み交わし、食事の席でもこのことは話題となった。
 その中にあって、私たちが、堺市と堺日中友好協会に「中国文化セミナー“徐福”」の開催を企画提案し、開催協力したことが大きな話題となり救いとなった。
 堺市と連雲港市との友好関係を機軸として、堺市で、韓国および日本全国のゆかりある地域、人々と“徐福”をテーマとして市民交流の輪を広げたいとの“思い”から、そのあり方について考えてみたいと、ここに、逵 志保著『徐福論−いまを生きる伝説』(新典者)を取り上げてみた。
 “生誕”と“出港”を歴史認識で捉える中国の市民に対して、伝承、伝説と位置づける韓国(通過地点)と日本(渡来地)において、認識の違いを越えて3者が市民交流のテーマとして接点を見出すことは出来るのだろうか?
 柳田國男をして言わしめた「徐福はローマンス」という切り口は、3者にテーブルと椅子を用意することが出来るのだろうか?

 著者が、今後の課題と指摘した「伝承モデルの見直し」と「東アジア共通の研究素材としての位置づけ」への取り組みを含め、訪問者の皆さんからご意見をお願いし、2008年「堺市・連雲港市友好都市提携25周年事業」に期する市民交流のあり方としてアクセスの方法を模索できればと思っている。

                                      ⇒ このページのトップへ戻る
 さらに詳細は、読書メモ(詳論)表ー1、表ー2 をご覧ください。
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